信長の虚像、『南海太閤記』

 NHKで、本能寺の変サミットというのをやっていて、司会の太田が大嫌いなのだが、我慢して観た。

 そこで思ったのは、信長像もかなり変わってきているのだな、ということである。というか、戦後になって急に、民主主義とやらの欧米思想に毒された結果、合理的思想の持主、ともてはやされたのではないか。

 そんな根拠のない断定はさておき、佐藤大輔の信長ものは、原型が小松左京の『南海太閤記』であるという指摘を何かで読んだのが心に引っかかっていた。小松ファン同士の座談的なものだったと思うので、ヨイショはかなり入っていると思うものの、確かにそんな小松先生の短編を、昔読んだ記憶があるので本棚を探してみたが見つけられない。ネットで検索したら、『最後の隠密』所収とあり、角川文庫版を探し当てると確かにあった。目の前の文庫本の山を探すより、ネットで検索したほうが早いとは何たることだ。

 内容は、ディティールは一切省いて、信長が生き延びる話なのだが……
 読み返してみて気づいたのだが、"かの有名なキリシタンベルト"なんて表現があったが、ぜんぜん記憶に残ってなかった。短編で、悪く言えば尻切れトンボ、良く言えば想像力をかきたてて、一番いいところで終わる掌編なんだけど、いややっぱり、小松左京の「上手なウソ」に一気に引き込まれて、楽しい短編である。