RIAディゾン

タイトルは意味なし。

sendmailqmailによるLinuxメールサーバー構築ガイド』という2000年ちょうどに出版された本を数年ぶりにめくったら、ネットを雲に喩えた絵があり、わざわざ


"クラウド"(cloud)
とカタカナで書いたものに括弧書きで英語スペルが添えてあった。それで思い出したのだが、最近クラウドコンピューティングなんて騒いでいるけど、そう言えば昔からネットは「クラウド」だったような気がする。

『グリッド』はどうした? ひと頃は会社組織名にまで"グリッド事業推進部"とか付いていたけど。やり過ぎでしょう。別に流行廃りに関係なく、必要な考え方・良い設計思想は残るわけだから心配には及ばないと思うが、一時的な流行でバズワード化した結果、今度は逆に「陳腐」という根拠無き烙印を押され、本当に良い研究や製品まで顧みられなくなるケースが有りはしないか。心配である。

それを見て、IT技術の話題は実は新しい話は多くなくて、焼き直し・リバイバル・再評価が大半ではないかと思った。(いや全てだったりして)
仮想化も、有益な技術であることは誰もが判っていたが、ようやくIntelマシンで実用になる性能になってきたという面も、忘れてはいけないんじゃないかなぁ。(VMwareの努力はあったんだろうけど、PCが遅くてはそもそも使い物にならないんだから)

もっと卑近な例でも、例えばAjaxなどのWeb技術は、Netscapeの蒔いた種がようやく遅まきながら実りを上げたと見ることもできる。Netscapeは、それはそれは色々な種を蒔いて消えていった。いまのWebを支える基礎技術はNetscapeが作ったような気がする。「作った」が不正確なら、市場に認知させ導入の為の地均しをしたというべきか。
ブラウザを中心にする戦略から始まり、SSLという必須技術の実用化、Java仮想マシンへの対応、そしてJavaScriptによるブラウザ側の作り込みを可能にする路線と、正に今の時代のWeb技術は、10年ちょっと前に予見され、準備されていた。

さて自分の中でしっかり落ち着いていないというか、整理できていないのはRIAという概念である。最近目を通した論考で、
(1) メインフレーム時代のダム端末
(2) C/S
(3) Webアプリ
に続く第四の潮流として
(4) RIA
を置いているものがあり、(1)のアンチテーゼとして(2)が登場し、そして(2)の改善として(3)と、ある意味「反動」のように揺れている図を添えて説明しているものがあった。

僕はこれは判りやすいと思う。

気になるのは、RIAの利点として良く挙げられるものが、C/S時代のものと共通なものが多いことだ。曰く「サーバの負荷を減らす」、曰く「ブラウザだけでは実現不可能な高度な作り込みを可能にする」……

こういった論調を良く見かけることが、僕自身がRIAという言葉をまじめに考えない理由である。そんなメリットしか無いのだとしたら、その実態はC/S時代への回帰に過ぎない。つまりRIAと自称する技術は、C/Sと全く同じ弱点を抱えることにしかならないだろう。バージョン管理やバージョンアップ時のクライアント維持負荷の増大など、『ファットクライアント』という死語を再び呼び戻すだけなんじゃないの?と言われても仕方がないと思うのだ。

だから、RIAを会社に持ち込みたいとか、仕事に応用したいと思う若い人にはこうアドバイスしたい。
「Webアプリの単なる反動としてRIAの利点を挙げるだけじゃダメだ。もっと考えなさい」

…さてそこまでは僕も考えているのだがその先が思いつかないのである。
じゃ、RIAという呼び方で、僕が考えている『望ましい技術』ってどんなものかな?

Webアプリの低機能性を補うものとして、ブラウザにプログラムをあらかじめインストールするのは、あまりいい策と思わない。というか、それならhttpを使うということ以外は"Webアプリ"を名乗る理由は何もなくて、専用ブラウザと言ってもいいし、いっそC/Sと言ってもいいような何ものかになるだけでしょう。結局、クライアントPCには、何らかのセッティング作業と、(おそらくは今後数年続くに違いない)保守作業と、(Web側だけじゃない、OSや他のアプリやその他もろもろの"予想外の"要因によって引き起こされる)不具合対処が必要になるだろう。社内限定のイントラネットアプリなら有りだが、それだとB○zやCu○lみたいにマーケットが狭くなるゾ。

Silverlightにしろ、flexにしろ、Apoloにしろ、クライアントへのインストールを求める以上、もはや汎用のWebアプリじゃないような気がするんだなぁ。
いや、所詮シェアを取ったか取らないかの問題であって、何も低機能なHTMLブラウザにこだわる理由はないと言われそう。
「おまえはHTML原理主義者か!」みたいなツッコミを受けたりしてね。確かにそう。

でもね、だからこそ思うんだけど、RIAという言葉で示す、望ましい未来ってのは、どのブラウザでも動く高機能が提供されることであって、つまり、ブラウザがより強化されることと同義ではないのか??

それがHTML5主導で成し遂げられるのか?(なさそう)
Google Chromeがかっさらっていくのか?(僕は、Google信者には悪いが無いと思うよ)
MSか?Adobeか?
やっぱりFlashがしぶとく残るのか?

……という道筋の違いでしかないと思うんだけど。つまりは、RIAってのは、今のブラウザに足りない機能を
「埋めるのはオレ様だっ」
「いやあたしの機能こそ次世代にふさわしいのよっ」
「ふほほっほ拙者を忘れてもらっては困るわい、とりゃ!」
ってな感じで、不毛な争いをしているだけなんじゃないか。なんて。思ったりする。