言葉

電車に乗っていて、道を歩いていて、ちょっとおかしな人に遭うことがよくある。
しかし、○○○○とは言っていけないのだそうだ。そのかわり、○○に不自由な人、とかなんとか言い替えるんじゃなかったっけ。しかし、考えれば考えるほどおかしい。
「気が違う」という言い方は、本当に美しい言い方だと改めて思う。
「気」というのは、あたりを漂うなんとも言えないものから、人間の意識の動きまでを包含する、実に広範な概念である。その気が、「変わる」って言ってるんだから、こんな遠回しな表現は無いわけだ。遠回しどころか、「何を言ってるのかわからん」ぐらいの曖昧さである。それを、○○に不自由、とは。ソフィスティケートが信条の言葉狩り運動は、ここに至って、まったく本末転倒なことをしてしまう結果になっている。つまり、むしろ、言葉の意味を先鋭化し、明確化している。しかも、これが最も重要なポイントだが、下品で野暮で不粋な言葉の使い方だ。