北京五輪

ぼくが政治家だったら、北京はボイコットしようと呼びかけ、チベット保護を国際社会に訴えるなぁ。
例えば我が国は、何をもって北朝鮮を非難するのかというと、「同国が我々の考える正義に反するから」という理由であるべきではないのかな。
これがもし、「国民が拉致されたから、武力で取り返す」というのならば、理屈としてはわかりやすいし単純だ。でも、日本は武力は用いないのだから、代わりに、倫理とか、正義とか、そんなものを持ってくる必要があると思うのだ。そういったものをバックボーンにして、「…だから反対する!」ということを明確に示す必要があると思うのだ。倫理的に必要なだけじゃない、政治的ポーズとしても必要だ。倫理を味方にして見せる、ポーズ取りが必要だと言っているのである。

そういった理論構築を放棄したまま、チベットを見捨て、北朝鮮だけは非難する、それはなぜか。チベットでは、自分の国民が直接危機にさらされていないから、だ。なんと卑しい理由だろう。そんなことで、国際社会の共感など得られるだろうか?

ぼくは、国際社会なんていう実態のあやふやなものに何ら期待を持っていないが、ポーズだけは示す必要があるのだ。それは、最低限の保険をかけるようなもの。例え捨て石と判っていても、打てる手はすべて、抜け目なく打っておかなければならない。そういうしたたかな計算の出来るひとに、もっと社会を動かしてもらいたい。